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万博で知り合ったルーマニア人とハイキングに行った

先日万博のルーマニアパビリオンで知り合ったルーマニア人のNoianがハイキングに行きたいというので、地元の山に連れていった。元々4月の終わりごろを予定していたが、僕が風邪をひいてしまいのびていた。向こうも万博の仕事が忙しいようで、帰国の前日になってやっと予定が合った。

10時過ぎにうちの最寄り駅に着く予定だったが、電車に乗り間違えたらしく一時間程遅れた。なにせ阪和線である。外国人にはかなりややこしい。そのうえ駅員はフランス人のごとく英語を話さない。間違って関空に行かないようにしつこく注意喚起して、なんとか和歌山に辿りついた。

車で自宅まで連れて来て、そこから徒歩で山に向かった。自然が好きそうだったので、ろくに整備されていないひとけのない山に案内した。

この山に登るのは久しぶりなので道を覚えているか不安だった。おそらく昔の人が隣の町まで行くのに使っていた道だと思う。今でも一応隣町まで抜けられる。入口は果樹園になっていて今も柑橘の木がたくさん植わっている。川沿いを森に入ると左右には棚田が並んでいる。こちらの田んぼは既に放棄され、今は藪や針葉樹林になっている。針葉樹の方は戦後の拡大造林で植えられたものだろうか、毎年ティッシュペーパーの需要を底上げしている木々である。棚田は石垣で造成されている。いつのものかは知らないが今も崩れずに残っている。

棚田の横をさらに進むと小さい滝がある。牝牛の滝というらしい。牝牛と書いてコッテと読む。滝の近くに牝牛に見える岩があるのが由来らしい。コッテという言葉は聞き馴染みがない。後日祖父の友人に聞いた話だと、小さい牛やメスの牛のことをコッテウシと言ったそうだ。

牝牛の滝
牝牛コッテの滝

滝を過ぎると急勾配の斜面が続く。ほとんど道とはいえないような山肌を登る。40度はありそうな勾配である。息があがりながらも、彼は日本に来たがっている友人のことを聞かせてくれた。日本のとあるバンドの大ファンなのだそうだ。ポップカルチャーにはうといので自国のことなのになにも分からなかった。最後に大きな岩が作った崖を山羊のように登ればやっと平坦な道に出る。彼のブーツがよく滑っていた。裸足が一番安全だと勧めたが遠慮しとくと言われた。そこから先は特にきつい場所もなく、そのまま展望台に続く。彼は少し疲れたようで言葉が少なくなっていた。

展望台から
展望台から

展望台からは僕の町が一望できる。西が海で南北が山、東はゆるがかな坂が高野山まで続いている。彼の出身地も山がちで似た地形だそうだ。海はないが毎年父親が黒海まで連れていってくれていたので馴染深いといっていた。展望台には小さな祠がある。せっかくなので鳥居のくぐり方や参拝の仕方を教えてあげた。熱心に聞いてはくれたが自分はやらないと言っていた。理由は聞かなかったがおそらく彼がキリスト教徒だからであろう。こういうはっきりした態度は見ていてなんとなく気持がいい。

ところで日本では神道でも仏教でも左進右退が基本だと思う。以前五瀬命が祀られている竃山神社のお祭に行ったことがある。そこでは巫女さんが神殿に向う階段を登る際左足を一段上げて右足を引き寄せてを繰り返して登り、下るときは逆にしていた。お寺でも道場に入るときは左から、出るときは右からと習った。そういえば合気道でも座礼をするとき左手、右手の順で床に付けて頭を下げ、頭を上げるときは右手から戻すと習った気がする(この記憶はあいまい)。ところがヨーロッパでは逆らしい。左は邪悪だから右から入るのだそうだ。

下りは別の道を選んだ。途中からコンクリートで舗装されている楽な道である。途中で山菜がいろいろ生えていたので紹介してあげたらぱくぱく食べていた。よく信用できるものである。イタドリ、ユキノシタ、フキ、チャノキ、タラノキ...。タケノコはもう竹だった。クスノキもあったのでいい香りがすると言って渡したらこれもかじっていた。クスノキが食べられるかどうか僕は知らない。防虫剤に使われていたと伝えるとすぐに吐きだして水で口をすすいでた。

展望台でフルートを吹く動画を撮りたかったのに忘れていたといっていたが、途中で見つけた竹林を気に入ったようで、そこで吹いていた。このフルートはチューニングが現代の一般的なものとは違い、ミの音が少し低くなっている。長調とも短調ともいえない微妙な音階だった。

フルートを吹くNoian
フルートを吹くNoian

ルーマニアに竹は自生していない。ところが和食屋等には植わっているという。ルーマニアの植生だいじょうぶかなぁ。

山から家に帰ってきたらもう15時になろうとしていた。昼ごはんは食べてない。車で和歌山市の寿司屋に向った。弥一という回転寿司である。回転寿司だが安いわけではなく、味はかなり美味しい。

中途半端な時間に行ったからか、寿司はひとつも回っておらず、タブレットから注文するように言われた。おなかがすいたから寿司以外のものも食べるといって、彼は最初にうどんを注文した。僕も自分の食べたいものを適当に注文していた。しばらくして納豆うずらが届いた。僕は頼んでいない。彼は納豆が好きだそうだ。ルーマニアにも臭いの強い発酵食品があるのかと思い、チーズの話をしてみた。ルーマニアには臭いチーズはないと言う。ゴルゴンゾーラやカマンベールはないのかと聞くと、あんなのは臭いうちにはいらないそうだ。ちなみに国でよく食べられるのはカビの生えていないクリームチーズのようなものだそうだ。

ひととおり食べておなかがいっぱいになってきた。彼もおなかがいっぱいになってきたと言いだした。彼のうどんにはまだ手が付けられていない。テーブルにはまだ寿司が残っている。無理なら僕が食べようかと言うと彼はうどんの鉢をこっちによこした。ちょっとくるしかったがまあうどんなので食べれた。麺は腰があっておいしいが、出汁は少し甘みが強かった。出汁を飲みほした頃、彼も残った寿司をだいたい片付けて、やっぱり自分もうどんを食べるといって追加で注文した。

うどんの甘みをガリで消して店を出た。おごってくれた。

弥一を後にし、和歌山城に案内した。和歌山城にはなぜか小さな動物園が付いている。時間がなかったので適当に見て天守閣に登った。地元の人間なのに天守閣はこれが初めてである。閉館ぎりぎりに行って30分しか見れなかった。天守閣は米軍に丸焼きにされたあと鉄筋コンクリート造りで再建された物である。外観はそれっぽいが内部は昭和の団地のような近代的なものだった。書画や武器等が展示されていてそれなりに見応えがあり、30分では足りなかった。彼は中国語が話せるので漢字も結構読める。僕が流し見した巻物を熱心に読んでいた。

和歌山城を出た後は寺か神社が見たいというので日前宮に行った。既に閉まっていて入れなかった。こんな時間に閉まっては会社帰りに立ち寄れないのではと言われた。ルーマニアではサラリーマンが帰りに教会に行くのが普通なのだろうか。

カフェにでも行って話しをしようということになった。いい喫茶店は知らないので和歌山市駅のスタバに行くことにした。駅ビルには確か日本酒のお店もあったのでそこで黒牛か超久でも買わせようと思った。ところが着いてみると平和酒造の店だった。この酒蔵はあまり好きではないので入らずに直接スタバに行った。スタバではどういう流れだったか、国境の話になった。昔は国という概念も国民という枠組みもなかったのに、いつしか作られて国境ができたという。ヨーロッパの世界はかつて神が治めていたが、あるときから貴族がその役割を担い、貴族が没落してからは民衆をまとめるために民族や国家というストーリーが必要になったという。そういえばゲルマン民族というのもナチスがドイツをまとめるために作った概念だとどこかで読んだ気がするが本当なのだろうか。日本は海に囲まれているのでヨーロッパと少し状況が違うんじゃないかという話を出してみた。言語も民族も一つで天然の国境があるのはヨーロッパ人から見るとちょっと変なのかな。そのくせ昔から文化的には国際色豊かだと言われた。

辺りがすっかり暗くなったころスタバを出て少しそのへんを散歩した。駅の周辺は全然土地勘がなかったが紀の川があるのは知っていたのでそっちに向かって適当に歩いた。日本語の練習をしたいので日本語で話して欲しいと言われた。僕の言葉は結構理解できていたようだし、向うも割と話せていた。多少ゆっくり話すようにはしたがそれでもたいしたものである。ところで外国人相手に母語を話すと普段どれだけ自分がいい加減に話しているかがよく分かる。発音や文法を間違えないように意識するととたんに言葉に詰まるのだ。

人生で英語をしっかり話したのはこれが初めてである。彼と話していて思ったが、話したいことがあれば文章を組みたてる前に話しはじめたほうがいい。相手の話を理解したうえでなにか言いたげなことは伝わるし、そのあとは身振り手振りでも案外なんとかなる。外国人と話すのに外国語に関する知識はある程度必要だが、相手の話したいことに興味を持つのも重要である。

河原では日本の山に危険な動物はいるのかという話になった。熊や毒蛇、スズメバチなんかが怖いと言った。このあたりで熊を見たことはないけど。それから彼がどうやって英語を流暢に話せるようになったのかも教えてくれた。英語でゲームをしていたら英語が第二の母語のようになったそうだ。ルーマニア語はマイナーな言語なのでゲームは翻訳されないらしい。僕も流暢ではないにしても何とか意思疎通できるようになったのは、英語でコンピューターの勉強をしたからだと思う。英語を勉強するより、英語を使ってなにかをすると、すぐ覚えるし忘れにくい。最後に二宮金次郎の像に集まった猫を眺めて駅に戻った。

彼は明日の22時台の飛行機でイスタンブールを経由して国に帰る。イスタンブールまで12時間、乗り換えに3時間、そこからルーマニアまで1時間半、国に着いてからさらに12時間バスに乗る。なかなか遠いところである。国内線もあると言っていたが、日本でお金を使いすぎたから節約したいらしい。

彼は20:30発の特急サザンに乗って大阪のホテルに帰っていった。